interview

新田桂一・米原康正・加護亜依が語り合う

人生のエポックメイキングな瞬間とポートレイト写真

去る2018年7月、フォトグラファー新田桂一による写真展「PORTRAIT」がBasement GINZAにて開催された。この写真展は、Ploom Shop 銀座店のオープン1周年を記念して催され、Ploom TECHの広告ビジュアルを手がけた新田が新たに撮り下ろしたポートレイト作品が展示された。その被写体となった25人のうちの二人、加護亜依と米原康正が写真展に訪れたのを機に、新田桂一自身を交えて対談を行った。親交の深い三人による対談は、笑いの連続でありながら、写真という表現についてはもちろん、互いのエポックな過去についてにも話が及んだ貴重なものとなった。



――今回の写真展をご覧になって、お二人はまずどんな印象をお持ちになりました?

米原 桂一から写真展のポートレイトを撮らして欲しいと言われて、最初は誰が出るか分からなかったんだけど、こうして出来上がった写真を見ると、嬉しかったですよ、この中に入れて。ほとんど知り合いばかりですし、これで自分が入ってなかったら逆に寂しかったかも(笑)。本当に目立ってる人ばかりで、東京という街のコミュニティの中で。言い過ぎかもしれないけど、今の東京を代表してる人たちばかりだから。

加護 私も初めてこの話を聞いた時は、他に誰が出るとかも聞いていなくて、「全然いいですよー」って軽いノリで受けたんです。でも、あとで資料をいただいたら、錚々たる凄い方々の中に加護亜依が入っていて、本当にいいんですか!? ってビックリしましたね。

米原 桂一はどんな風に(被写体となった人物を)選んだの?

新田 それはもう、僕のなかでホントに超リスペクトしてる人たちを。この人たちがいるからこそ、今の僕がいるって言っても過言じゃないような、僕の大好きな、リスペクトしてる人たちを選んだんです。本当は、もっと他にもたくさんいますよ。最初は100名撮りたかったんです。100名の尊敬するカッコいい人たちを撮ろうかと思ったんですけど、この会場を見に来たら、25枚くらいがちょうど良さそうだったので。皆さんを5日間で撮りました。

――それちょっとビックリしますね。この忙しそうな人たちを5日間で、というのは。アポとるのだけでも大変そう。

新田 アポとるの大変でしたよ。米ちゃんとかは直接電話かけてお願い出来ますけど、そうもいかない先輩方もいらっしゃいますから。うちの妻をはじめ、いろんな人たちに、そこは手伝ってもらいました。

――加護さんは今までに様々なフォトグラファーとお仕事されてきたと思いますが、新田さんの写真や撮影のやり方は独特だと感じますか?

加護 もう全然違いますね。モー娘。の時代にも、新田さんに撮ってもらいたかった! って思うくらいです。だいたい普通は何枚か撮っていくうちに、だんだんといい表情が出たり、気持ちも徐々にリラックスしていくんですけど…。新田さんの場合は、スタジオに入った瞬間からフワーってなって、その空気に場が包まれるんですよね。
アイドル時代には、そんなカメラマンさんに撮っていただいた記憶はなかったから、当時ぜひ撮っていただきたかったなって思います。

――芸能人のグラビアを撮ってるカメラマンさんとかで、新田さんみたいなタイプはあんまりいなそうですもんね。お二人がお会いしたのは、モー娘。時代でなく、最近なんですね。

新田 そうなんです。2年くらい前だっけ?

加護 2年前に沖縄のフェスでお会いしたんですよ。実は、私、桂一さんと出会う前に、いろんな人から桂一さんの話を聞いていて、いつかお会いしたいなって思ってたんです。でも、ずっと会えないままだったんです。桂一さんに会えるからってお誘いいただいたイベントとかの機会もあったんですが、その時自分が風邪ひいて行けなかったりして。

新田 そうだ。沖縄のコロナフェスで会ったんだ。

加護 実は、結婚したのも新田さんがきっかけだったんですよ。その頃、私は芸能への興味が薄れてきてしまっていて、30歳で辞めようかな、とも思ってたんです。28くらいの時に。育児も大変だったというのもあって。
再婚して籍入れることにもあまり興味がなかったですし。でも、桂一さんとご飯をしてる時に「絶対、籍は入れたほうがいいよ。だって、LIFE is SHORT! だから」って言ってくれたんですよ。それがもうガーン!って入ってきて。「LIFE is SHORT」 が私のテーマになったんです。ホントにそれで、じゃあ結婚しましょうってなったくらい。
そこからスタートして、いま、主人も私もプライベートも仕事も順調に波に乗ってきているのは、あの時「 LIFE is SHORT! 結婚したほうがいい!」って桂一さんが言ってくれたからなんです。

――そういう気持ちで物事に望んだら、いろんなことが順調になったんですね。

加護 出会ってすぐに「加護ちゃん写真撮ろうよ!」って言ってくださって。大体みなさん、今度、仕事しようって言っても、なかなか実現しないじゃないですか。それが、すぐに仕事を振ってくださって。それも1回じゃなくって何回も。「撮ろうよ!」って言ってくれるんですよ。

新田 マタニティフォトとか、お宮参りの写真とかも撮ったよね。

加護 そうですね。プライベートも撮っていただきました。

新田 写真集で出したいんですけどね。

米原 タイトルは「 LIFE is SHORT」で(笑)。

加護 本当にそうだなって思えるんですよね。あの言葉が自分のテーマになっちゃった。いろんなことしないと、もったいないなって思えるようになったんです。ありがとうございます。

新田 ちなみに、ここ(米原さん)とここ(加護さん)の出会いは?

加護 こことここの出会いは古いですよねー。

米原 いろんな遊び場所で。わりと遊んでる頃(笑)。

加護 お会いしました。遊んでる頃(笑)。20代のはじめの頃、私もけっこうパーティピーポーだったんです(笑)。

新田 じゃあ、あの問題になった頃も仲が良かった?

加護 それは17歳のときです(笑)。

米原 イヌモ二。って本があったの知ってる? 犬でミニモニ。やらせたのよ。それ、俺が作ってたのよ。

新田 それって昭和?

米原 昭和じゃないよ!

加護 私が活動しはじめたのは2000年からですから!

新田 もーむすめ?

加護 「モーニング娘。」ね。知らないんですよね。当時はNYにいたから。

新田 ちょうど僕、日本にいなかったからね。



――米原さんと新田さんは古いですよね?

米原 俺は最初の頃から知ってるからね。テリー(リチャードソン)のところで働き出して日本に来た時にいろいろ話したんだよね。

新田 いろいろ話しましたし、いろいろありましたね(笑)。「負けるなよ、日本に」「飲まれるなよ」って言われたのを覚えてます。

米原 写真の撮り方とか…。技術で写真を撮るんじゃなくて、いかにその雰囲気を撮るかって話したり。やっぱり桂一って底の部分ではテリーっていう存在があったりするから。日本の中でだと、テリーのアシスタントだった新田桂一という風に見る人が圧倒的に多かったと思うし。俺は桂一しか見てないけど、そこで近寄ってくる人がいっぱいいるから、そこの部分ははっきり区別して仕事していかなきゃってことを一番最初に話したんだよね。

米原 今回、モノクロというスタイルで、こういう写真を撮ってるというのはビックリしたし、ちゃんと撮ってるって感心した。ちゃんと写真というものを突き詰めていってるんだなっていうのが分かった写真展だった。

新田 ありがとうございます。日本に帰ってきて12年になりました。

米原 帰国してすぐの頃、喫茶店で話したね。

新田 日本に帰ってきたばかりでまだ仕事が全然ないときですね。その前に、テリーと一緒に日本にきた時もお会いしましたよね。NYにいた頃テリーはよく米ちゃんに会いたいって言ってました。米ちゃんに助けられたって感じてたんじゃないですかね。

米原 テリーが生まれて初めての写真集を作ってる時に一緒だったからね。俺が林からアテンドを任されたんだ。金ももらわずに(笑)。そうだ、俺、1週間テリーをアテンドしたんだ。

――林さんというのは、雑誌『DUNE』の林文浩さん?

新田 そうです。元『DUNE』の編集長。亡くなってしまったんです。

米原 その三人だったんだよね。でも、そこからの付き合いの桂一が今、こんな個展を催してて、ちゃんとその写真という部分で桂一という存在がやっぱりちゃんと評価されるべきだと思います。

――写真という部分で評価されるべきという点で、今回どこにそれを感じましたか?

米原 まず、こういう写真展を催せるということ自体が、ね。写真家っていっぱいいるけど、ちゃんとこういった形で写真展を催せる人は少ないから。これまでやってきた「新田桂一」というものがあるから、こういったことができるわけで。そこをちゃんと評価すべきことなんじゃないかなって、僕は思ったりしています。

新田 すみません、泣きそうです(笑)。ありがとうございます。嬉しいです。

――今回の展示の写真のサイズ感とか、写真の選び方を教えて欲しいです。

新田 Supremeのポスター、ありますよね、レディ・ガガ、マイク・タイソン、ニール・ヤングが出てる。あれ、ポートレイトじゃないですか。実は、今回のは、あのサイズなんです。縦横全くあのサイズ。大きさとバランスがなんかいいなって思って。額屋さんたちは「面倒くさいサイズだなー」って言ってましたけどね(笑)。

――ちょっと特殊なサイズなんですね。写真選びはどのように? 例えば、加護さんとか、あの写真はどうやって選んだんですか?

加護 それもまた面白いのが、桂一さんが撮ってくれたから、桂一さんが選んでくれていいのに、「加護ちゃんどれがいい?」って私にチョイスさせてくださるんですよ。優しいんです。凄く。もうひとつ、候補があったんですよ。

新田 そう。そっちも見せたいですね。めっちゃかわいいですから。

加護 笑ってるほうと、シリアスな笑ってないのとあったんです。で結果こっちになって。

――シリアスな表情のものを選んだのは何か理由があって?

加護 うちの主人が…。LINEして「どれがいい?」って聞いたら「これ」って。

新田 決められなくなっちゃったんですよ。4枚くらいで決められなくなっちゃって。

加護 もう最終手段でね。

新田 旦那さんに見せて「どうしよう?」ってね。Numero TOKYO編集長の杏子さんの時も選びきれなくて。そしたら「家族に聞いてみよう」って旦那さんや娘さんに送ったりして。みなさんそれぞれな決め方で。米ちゃんもめっちゃありましたからね。いいのが。

米原 俺は、大笑いしてるやつで、最初から(笑)。



――そうやって、写真選びもコミュニケーションをとりながら1枚を選んだんですね。そういうところもちょっと面白いやり方ですよね。

新田 まあ、自分で決めちゃう人が多いですけどね、でも、ポートレイトなんで、自分だけがハッピーになってもしょうがないかなって。やっぱり撮られた側のモデルさんたちにも、ハッピーになって欲しいので。この展示が終わったら、このまま僕は額を持って一人一人にプレゼントしに行く予定なんです。

加護・米原 えー! 

新田 葉子さん(米原さんの奥様)はいらないって思うでしょうね。ただでさえ、いっぱい荷物あるから(笑)。でも、ちゃんともらってくださいね。

米原 もちろん! 福がありそうな写真だもんね(笑)。

新田 実は、写真の場所決めも、会場に入った瞬間に米ちゃんが見えるのが良かったんです。あの笑顔が。だから、米ちゃんの写真が入り口の向かいっていうのは、最初に決まってたんです。展示の場所選びは楽しかったですね。

米原 今回、なんでモノクロにしたの?

新田 モノクロの写真展は今までやったことがなく、初めてだったんです。色見本は自分とアシスタントで作って、その色見本をプリント屋さんに持って行って。
それを見せてまずテストプリント出してもらって、ちょっとずつ色を近づけるようにしたんですが、なかなかうまく出来なかったですね。
もうちょっと明るくしようとか、暗くしようとか、何度も考え、ようやく最後に「いいな、この色」って思えるプリントが出来ました。

――かなり試行錯誤しながら作ったんですね。

新田 テリー・リチャードソンはカラーなんですが、(テリーの父親の)ボブ・リチャードソンはモノクロなんですよね。僕にとって、ボブさんとの出会いと別れも大きかったんですよね。

米原 ボブとも親交があったの?

新田 もちろん。NY時代に僕がずっとお世話してたんですよ。ボブさんのモノクロがカッコいいなっていうのはもちろん意識にありますけど、でも、いざやって見ると、なかなか難しいですよね。モノクロは味が出ると思いますが。

加護 なんかモノクロなのにハッピーを感じちゃうんですよね。この展示の写真。

新田 ホントにー? 米ちゃんの写真があるからでしょ⁉

加護 本当に不思議で。モノクロってどこか沈んで見えるじゃないですか。なのに、今回の写真は、みんな一人一人がちょっとパーって放ってるっていうか。それが笑顔じゃない人さえも、「この人はこういう風にして生きてるんだな」みたいに感じる。お会いしたことない人もいらっしゃいますけど、そういう風に私が勝手に思ったりするんで凄いなって思いました。

米原 普通モノクロってさ、女性が太って見えたり顔が暗くなって、可愛くなくなったりするけど、桂一のモノクロは女性陣が可愛らしく撮れてる。

加護 モノクロなのに肌もすごいキレイですもんね。

米原 人の暗部を出す…みたいな、そんな毛穴まで出す? って感じののモノクロとは違うからね。リアリズムなんだけどPOP。POPが入ってるんだよね。

――そういう部分は意識して撮ってるんですか?

新田 そうですね。暗く撮ってもしょうがないですよね。そういうカメラマンはいっぱいいますから。暗いのしか撮らないっていう人は。考えさせられますけどね。だけど僕は僕でいこうかなと。それはもう米ちゃんに昔から言われているので。兄貴みたいな存在なんで。

米原 もう日本に戻って12年なんだね。テリーと会ってからは20年以上か。

新田 僕がテリーと一緒に日本に来たのは2000年くらいですね。

――テリーさんのとこに師事に行くきっかけってなんだったんですか。

新田 もう彼しかいないなと思ったんです。写真を見て。ウンチを撮った写真展をやってたんですよ。全部ウンチなんですよ。自分の。飲みすぎた時のとか、いろんなウンチを撮ってた写真をみて、衝撃だったんです。ヒステリックグラマーとパルコの2箇所でやってた写真展でしたね。それ見せられちゃうと、彼しかないって。



米原 え、日本で写真展を見てから行ったの?

新田 そうなんです。97年にニューヨークに行って、バイトしてお金貯めて、2年間電話し続けましたね。テリーに。

――テリーさんとは面識はなかったんですか?

新田 面識はなかったですね。

米原 凄いね。だって英語もできなかったでしょ?

新田 できないです。マクドナルドすら注文できなかった。

加護 えー、ホントですか?

新田 ディスワン、ディスワン、イエス! コカ・コーラ!イエス、ディスワン!って(笑)。とにかく遊びまくって、クラブのセキュリティしてた黒人のルームメイトをゲットして、いろんな知り合いを増やして。その頃、知り合った人がテリーと面識があって、その方からテリーの電話番号をもらったんです。それから週2回、2年間電話し続けました。

米原 なんて言って? だって英語しゃべれなかったんでしょ?

新田 しゃべれません(笑)。だから「アイ・ウォント・クリーン・ユア・トイレット」みたいな感じで(笑)。それを毎週2回言われるとうざいでしょ? 毎回同じこと言うからガッチャンガッチャン切られて、1年目は全く無視。
でも2年目に入ってから、ファーストのアシスタントが「あれ、お前ってチャイニーズだったっけ?」って「いやジャパニーズだって。そういってるじゃん」って言ったら、「おいしい寿司屋さん知ってる?」って聞いてきたんです。僕のバイト先の目の前がけっこう美味しいお寿司屋さんだったんで、そこを紹介したりとかして。
それから僕のバイト先にそのファーストアシスタントが来てくれたんで、タダでご飯出してあげたりしてたら、だんだん興味を持ってくれた感じ。そしたら2年目の12月に「じゃあ来年から働きにくる?」と言われて「はい」って。そんな感じです。

加護 それも運ですね。

新田 運ですね。まあ3年目はなかったですからね。3年間電話し続ける勇気ないです。

――いやいや、2年間でも結構長いですよ。

新田 長かったですね(笑)。

米原 テリーと桂一の二人に共通してるのは凄い真面目なところ。じゃないと彼らみたいな写真は撮れないと思うんだよね。

――なるほど。確かに真面目で一途じゃないと、2年間も電話し続けられないですよね。

新田 えーと、真面目感出すのやめてもらっていいですか。やんちゃキャラで行きたいんですけど(笑)。




――そういえば、米原さんもここ(Basement GINZA)で展示やるんですよね?

米原 そうやるのよ。12月14日から。

新田 もう内容は決まってるんですか?

加護 何するんですか? 聞きたい。

米原 これまでとまたちょっと違うの作ってて。まだ言えない(笑)。

新田 写真ですか?

米原 写真なんだけど、ちょっと違う。

加護 きっとちょっとエロいんですよね?

米原 えっとね、エロいのもあるかな。

新田 今までのヒストリーではなく、NEWなもの?

米原 NEWもあるし、今までのもあるけど、見せ方をちょっと変えるつもりなんだよね。いいでしょ、謎っぽくて。楽しみにしててよ。





新田桂一
フォトグラファー。文化服装学院を卒業後,1997年に渡米。2000年からテリー・リチャードソン氏に師事する。2006年帰国後、独立。以後、そのパッショナブルな作風でファッションフォトを中心に広告写真の分野でも活躍中。自らが世界的著名人に変装し撮影するセルフポートレイトプロジェクト「100K」を進行中。2018年第49回講談社出版文化賞写真賞受賞。

米原康正
米原康正
編集者/アーティスト。チェキをメイン機材にするフォトグラファーとして知られる他、DJやクリエイティブディレクターなど幅広く活躍。近年はアート作品も手がけており、12月にはBasement GINZAにて個展を予定している。中華圏でも人気が高く、Weiboのフォロワーは240万人を超える。

加護亜依
加護亜依
2000年にモーニング娘。加入。ミニモニ。やタンポポでの活動でも人気を集めた。数多くの映画や舞台にも出演。2018年には30歳記念ライブを開催した他、ハロー!プロジェクト20周年記念ライブにOGとしてゲスト出演することも話題を集めた。2児の母。


原稿=長谷部 敦 Text/Atsushi Hasebe
写真=菊地晶太 Photograph/Shota Kikuchi