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【顔画像】藤子不二雄Aの妻(嫁)や家族構成は?恐妻内容がヤバすぎた!?

藤子不二雄Aの妻嫁
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藤子不二雄Aさんが逝去したことが2022年4月7日報じられました。

気になるのは藤子不二雄Aさんの奥さんの情報ですよね。

今回は奥さんとの出会いや馴れ初め、そして恐妻の噂についてまとめました。

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【顔画像】藤子不二雄Aの妻(嫁)は誰?

藤子不二雄Aの妻

藤子不二雄Aさんの奥さんについてですが

和代さんという方のようです。

藤子不二雄Aの妻嫁

元々静岡の会社の社長令嬢だった和代さん。

1966年に結婚されました。

2歳年下の和代さんに一目惚れされていたということで

結婚は藤子不二雄Aさんにとって、念願だったようですね。

藤子不二雄Aと妻(嫁)の馴れ初めは?

藤子不二雄A

藤子不二雄Aさんと妻の和代さんの馴れ初めについてですが

藤子不二雄Aさんが一目惚れしたことがきっかけだったようです。

藤子不二雄Aこと安孫子先生はアシスタントの必要性を感じて

挿絵画家小林秀実画伯に頼みに行ったそうです。

その時に紹介してくれたのが和代さんだったそうで

喫茶店で出会い、安孫子先生は

「結婚したい」

と思ったといいます。

一瞬でそう思わせる奥さんの和代さんって外見も内面もかなり素敵な方だったのでしょうね。

その後3年間交際を経て結婚されています。



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藤子不二雄Aは嫁との結婚をギリギリまで隠していた!?

藤子不二雄Aの妻嫁

藤子不二雄Aこと安孫子先生は、奥さんとの結婚式の前日まで

海外に滞在するという慌ただしいスケジュールが組まれていました。

不二家のキャンペーン企画「オバQといっしょにケニアへ行こう!」

という企画で、ファンの子供たちとアフリカ旅行。

そして、その後はヨーロッパ旅行に出かけたということで

安孫子先生が帰国したのは結婚式前日の午後5時だったそうです。

奥さんの和代さんもかなりヒヤヒヤしたことが想像できますね。

後にこのスケジュールを組んだりゆについて安孫子先生は

「友だちにひやかされるのがいやなので、帰国もギリギリに、式の前日にした」

ということを取材陣に漏らしています。

友人に冷やかされるのが嫌だったためってそんな理由で

海外旅行のスケジュールを組むって相当ですね。

安孫子先生は赤面症で幼少期には「電熱器」と揶揄われたこともあるのだそうです。

奥さんとの結婚を冷やかされることが本当に苦痛だったのでしょうね。

藤子不二雄Aは妻と結婚後家に帰らなかったエピソードがやばい!?

藤子不二雄Aこと安孫子先生は結婚後

  • 「結婚を機会になにかひとついいことをしようと一念発起して女房に禁酒を誓いました」
  • 「結婚してからは、帰りもボクより早く帰って抜けがけするんですから」

と禁酒と早く帰ることを誓っていたようです。

しかし、それも長続きしなかったといいます。

安孫子先生は新婚旅行から帰ってきた翌日から10日間仕事場で泊まって仕事をしたそうで

いまだに奥さんに頭が上がらない

と言っていました。

安孫子先生は当時

  • 『怪物くん』
  • 『忍者ハットリくん』
  • 『フータくん』

などの数々のヒット作品をうみだしていた最中。

新婚旅行のツケは大きかったのかもしれませんね。

また禁酒も誓ってから程なく、夜の酒場に繰り出す習慣は治らなかったようで

長年お酒を楽しむ生活を続けていたようです。



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藤子不二雄Aの妻(嫁)は恐妻?

藤子不二雄Aさんこと安孫子先生の奥さんについて恐妻という噂もありました。

その真相について調べました。



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精進料理弁当がすごい!?

安孫子先生はお寺で生まれ育って精進料理しか食べてこなかったそうです。

なので体質的に、動物性タンパク質が受け付けられず

精進料理しか食べられなかったそうです。

手塚治虫さんに一度鰻料理をご馳走されて、ひと口鰻を食べただけで鼻血がでたというエピソードもありました。

体が受け付けていないというか、タンパク質が刺激が強すぎることが伝わります・・・。

和代さんは、多忙な安孫子先生を気遣って、どうにか栄養のある魚や肉を入れた料理を食べさせようとしたそうですが

安孫子先生には食べることがどうしてもできなかったといいます。

そんな安孫子先生の母親から

  • 「タケノコのみそ煮」
  • 「大根の葉を茹でて味噌で煎ったよごし」

などの精進料理を習って、毎日お弁当作りに勤しんでいたそうです。

精進料理なので使える食材もかなり限られますし

それでお弁当を作るって難易度が高いですよね。

しかし和代さんは飽きないように、工夫しながら精進料理の弁当を作ってくれたといいます。



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脳出血で後遺症が残った後も作り続けたお弁当

藤子不二雄Aのエッセイ

1985年の大晦日には奥さんの和代さんが脳出血で倒れてしまいます。

後遺症も残り

  • 左半身麻痺
  • 失語症

の状態におちいってしまったそうで、リハビリに長い間通っていたようです。

リハビリで回復したものの左手は動かなくなってしまいました。

そんな中でも和代さんは、右手だけで安孫子先生のために家事をこなし

精進料理のお弁当をずっとつくっていらっしゃったようです。

恐妻のタイトルにした理由は?

奥さんのそんな気持ちに応えたいと思った安孫子先生は

奥さんの和代さんにリスペクトの気持ちを込めて

お弁当の写真をとったりスケッチブックに色鉛筆で描いて記録を残すようになったと言います。

2018年10月には

「恐妻カズヨ氏の元気弁当」

というエッセーを和代さんの誕生日の2019年3月に出版することを発表しました。

恐妻という言葉を使ったのは、出版社が最初に考えたタイトルは

「愛妻」だったそうです。

しかし、

  • 愛妻という言葉が照れ臭い
  • 和代さんはジョークが好き
  • 和代さんに怒られてばっかり

ということもあって

「恐妻」

という言葉を使ったと、笑い話にされていました。

奥さんのことを恐妻と書きつつもリスペクトや夫婦の絆を感じますよね。

また、80歳になるまでどこも体が悪くなかったことについては

僕は人間には自然治癒力があるのを信じているし、ゴルフで体を動かすくらいで、他に何の健康法もやっていない。たぶん、ワイフがつくってくれる食事のおかげでしょう。

と奥さんの和代さんが作ってくれた食事のおかげと言っていました。



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藤子不二雄Aと嫁の間に子供はいる?

藤子不二雄Aさんこと安孫子先生と奥さんの和代さんの間には

お子さんはいらっしゃいません。

長年夫婦2人でやってきたからこそお互いのことをまっすぐ思いやって

絆を深め合ってきたのでしょうね。


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