歌手として活躍している西郷輝彦さん。
辺見マリさんが前妻ということも有名ですよね。
2人は1973年に結婚そして1981年に離婚されています。
気になるのはその離婚理由。
今回は西郷輝彦さんと辺見マリさんの離婚理由についてまとめました。
Contents
西郷輝彦と辺見マリの離婚理由は?

2人の離婚理由は以下の5つなのでは?
と言われています。
- 家庭を顧みない西郷輝彦?
- 西郷輝彦の両親は反対していた!
- 辺見マリの両親の想いがヤバい!
- 結婚観の違いも露呈!
- 両家の確執も凄すぎて追い出される!?
一つずつ見ていきましょう。
その1:家庭を顧みない西郷輝彦?

2人の長女の辺見えみりさんによると、
辺見マリさんは辺見えみりさんに対して、西郷輝彦さんの悪口を言っていたこともあるそうです。
お母さんに引き取られてるんで、お母さんも悪気なく、ちょっと悪口というか「お父さんこんなだったから!なんなのよ」みたいな。
と語っていました。
2人の離婚理由の一部報道では、西郷輝彦さんが多忙すぎて
家庭を顧みない人だったという報道もあります。
俳優や歌手活動が忙しすぎて、週に1日しか家に戻れない時期もあったそうです。
結婚した翌年に長男が産まれているので、辺見マリさんにとっては
かなり苦痛だったのでしょうね。
子どもや辺見マリさんのことを想う気持ちはあったものの
多忙な仕事によって2人の心は離れていってしまったようです。
その2:西郷輝彦の両親は反対していた!

西郷輝彦さんの両親は元々辺見マリさんとの結婚に反対だったようです。
西郷輝彦さんは反対されているにもかかわらず、
辺見マリさんと籍を入れてしまいます。
西郷輝彦さんは鹿児島県出身で、独身時代親孝行として鹿児島から両親と姉を呼び寄せて
三鷹の自宅で一緒に暮らしていたそうです。
結婚後は三鷹の自宅の敷地内に離れを作りそこでマリさんの両親も
一緒に暮らすようにしたそうですが、反対していた両親は激怒。
西郷輝彦さんの両親は三鷹の自宅から出ていってしまいます。
西郷輝彦さんの両親によく思われていなかったことも辺見マリさんを追い詰めてしまった可能性はありますね。
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その3:辺見マリの両親の想いがヤバい!
辺見マリさんの両親だけが三鷹の自宅に残り一緒に暮らすことになってしまった西郷輝彦さん。
その状況に不満を募らせて
ぼくの両親も離れて暮らしているし、いい関係を保つためにも、離れて暮らしたほうがいいのではないですか
と辺見マリさんの両親に提案したそうです。
すると、辺見マリさんの両親はあっさり了承し、その直後に
その代わり
辺見マリさんにまた仕事をさせてほしい
と条件をつけたと言われていました。
辺見マリさんの両親は、辺見マリさんにかなりの期待をかけていたのでしょうね。
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その4:結婚観の違いも露呈!
辺見マリさんの両親からの条件はあったものの西郷輝彦さんは
奥さんが外で仕事をするなんて考えられない
と当時結婚観を持っていたそうで、納得できずマリさんと
喧嘩する日々も増えてきます。
1対1で話し合いをすれば別の道が開けると想っていた西郷輝彦さんですが
辺見マリさんの両親もいるためなかなか話し合いがすすみません。
家長という立場なのに、辺見マリさんとも話し合いができない状況に我慢ならなくなった西郷輝彦さん。
結局西郷輝彦さんは三鷹の自宅を自ら出て2年間別居。
そして離婚を選んだのでした。
その5:両家の確執も凄すぎて追い出される!?

西郷輝彦さんの両親は辺見マリさんとの結婚が受け入れられず
反対していた上に、結婚後も結婚式に参列しなかったそうです。
反対していた理由については不明ですが
当時女性は家庭に入って男性を支えるという風潮が当たり前の時代。
歌手として成功していた辺見マリさんを受け入れることができなかったのかもしれません。
東京の三鷹に鹿児島から引っ越してきたにもかかわらず
出ていってしまうくらいなので、両家の確執がやばかったことがわかりますね。


