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上野千鶴子の経歴・学歴まとめ!生い立ちや東大祝辞でのスピーチが話題!

上野千鶴子
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フェミニストで社会学者でもある上野千鶴子さんの経歴について

注目が集まっています。

2019年には東大入学生への祝辞でも物議を起こした上野千鶴子さん。

今回は上野千鶴子さんの経歴についてまとめました。

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上野千鶴子の経歴や学歴は?

上野千鶴子

上野千鶴子さんの経歴はこちら。

1948年 富山県生まれで箱入り娘として育つ

1960年 富山大学教育学部附属中学校を受験し入学

1972年 京都大学へ進学

1972年 学生運動でフェミニストに目覚める

1976年 大学院で俳句家としても活動

1979年 初就職

1993年4月 東京大学文学部助教授に就任

1995年 東京大学大学院人文社会系研究科教授就任

2011年(平成23年)に東京都武蔵野市へ転居

2019年 東大祝辞が話題に!

ひとつずつ見ていきましょう!

1948年 富山県生まれで甘やかされて育つ

上野千鶴子さんは富山県中新川郡上市町で生まれました。

  • 父親は満州国帰りの内科医
  • 母親は専業主婦

という2人の間に生まれたようです。

生まれたのは両親の疎開地で、

家族構成は

  • 開業医の父
  • 専業主婦の母
  • 5つ上の兄
  • 2つ下の弟
  • 父方の祖母

という構成だったようです。

その時代の他の女児のように控えめになるなどさせられず

好き放題させてもらっていたということや

「娘は温室で育てる」

という父親の教育方針で天真爛漫に育てられていたようです。

そんあ中でも母親は気の強い姑と癇癪持ちの夫の世話で日常茶飯事

夫婦喧嘩が絶えなかったそうです。

そんな母親の口癖は

「あんたたちさえいなければ離婚できるのに」

とよく子供たちに愚痴っていたということで上野千鶴子さんは

「日本の多くの母親と同じ。だから日本の普通の、最低の母でした。」

と称していました。

支配するような毒親ではなかったようですが、

かなり幼少期はストレスを抱えていたようですね。

幼稚園はミッション系の幼稚園に通っていたそうです。



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1960年 富山大学教育学部附属中学校を受験し入学

1960年には

富山大学教育学部附属中学校

を受験し入学しました。

受験して入学したということなので、当時の偏差値は不明ですが

かなりレベルの高い学校だったことがわかります。

高校についても

石川県立金沢二水高等学校

を受験し進学しています。

今でも偏差値67のレベルの高い高校です。

どちらも父親に命じられた高校に進学したということですが

元々上野千鶴子さんは兄弟の中でも抜群に成績が良かったそうです。



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1972年 京都大学へ進学

1972年には京都大学へ進学しました。

元々溺愛する父親の元で育った上野千鶴子さんは、

このままだと実家を出ることができないと感じていたそうです。

大学は家を出るために

国際基督教大学

の受験を希望しますが父親は大反対。

結局関西圏の京都大学に進学することを決意したそうです。

その時も一人暮らしは許されず、

関西で下宿していたお兄さんと同居する

という条件で京都大学を受験。

京都大学文学部哲学科

に無事に合格し入学されています。

京都大学文学部の偏差値は67。

小中高ともに学歴が素晴らしいことがわかりますね。



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1972年 学生運動でフェミニストに目覚める

京都大学に入学後、学生運動に遭遇したそうです。

登山のワンゲル部に所属していましたが、上野千鶴子さんも

両親には黙って学生運動に参加していたと言います。

学生運動の中でも女性差別をかなり経験したそうで、

その経験がフェミニストに目覚めさせたと言っていました。

  • 学生運動の中でも陰で支えるタイプの女性はモテる
  • 一緒に棒を持つ同士タイプの女性は彼女にされない
  • 性的に開放的な女性を公衆便所と呼んでいた
  • 天皇制解体を主張しているが家庭の中では家父長制的男性が多い
  • 「男並みになろうとする女」はバカにされる

というダブルスタンダードを当たり前のように男性たちが持っていることや

男性と同じような行動をしようとすると煙たがれていた

ということが許せなかったのでしょうね。



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1976年 大学院で俳句家としても活動

上野千鶴子

1976年の大学院生時代には兄弟俳句会に所属し

上野ちづことして活躍していました。

また、日本女性学研究会にも所属しています。

「OL、主婦、教師、いろんな職業の人がいて、みな自立していて、知的で寛大で参加者の女らがとてもチャーミングだった」

ということでハマってしまい

それまで女性とどう付き合えばいいのかわからなかったそうですが

「女が信じるに足りる生き物だと学んで、ひとりでいることから抜け出せた。」

ということで女性不信を脱却できたそうです。

大学では奨学金とバイトで食い繋ぎ

当時の交際していた彼氏から一時期養ってもらっていたといいます。

  • 大学に5年
  • 大学院に5年
  • オーバードクター2年

ということで12年間京都大学に所属していたそうです。



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1979年 初就職!

上野千鶴子さんは1979年4月の30歳の時に初就職をしています。

公募により平安女学院短期大学(現:平安女学院大学短期大学部)の

専任講師として働いています。

その後

  • 1989年 京都精華大学に赴任
  • 1993年4月 東京大学文学部助教授に就任
  • 1995年 東京大学大学院人文社会系研究科教授就任

と大学教授を務めています。



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2011年(平成23年)に東京都武蔵野市へ転居

2011年には東京都武蔵野市へ転居しています。

フェミニストとしてだけでなく高齢者の介護の研究も勤めていたそうで

「日本で初めてリバースモーゲージを始めた福祉公社があり、以前から注目していた」

ということで武蔵野市での生活をスタートさせたそうです。

このとき1995年から務めていた東京大学大学院人文社会系研究科教授を

定年2年残して退職されています。

2011年4月から

認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)

理事長に就任されました。



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2019年 東大祝辞が話題に!

上野千鶴子

2019年には上野千鶴子さんの東大祝辞が話題になっています。

その内容は

  • 2018年に発覚した医学部不正入試問題に触れつつ、東大や四年制大学全体において女子の入学者の比率が低いことに言及
  • さらに東大の学生生活や大学組織の中でも未だ性差別が根強く残っている
  • その上で新入生に対し、現在の自分があるのは努力ではなく環境のおかげであることを自覚するべき
  • 自らの能力を自分のためだけではなく、機会不平等が残る社会において恵まれない人々を助けるために使うように

という祝辞でした。

日本に根強く残っている男女差別について危機感を感じますし

自分のためではなく人々を助けるために使うように

ってとても素敵なメッセージですよね。

しかし、日本のツイッターでは

「場違いな祝辞」

ということで入学生に対してのメッセージとしてふさわしくないのでは?

という疑問の声も上がっていました。

今までの上野千鶴子さんの経験や社会の不正入試問題などを受けての

大学生へのメッセージでしたが、メッセージ性の強い内容に反発してしまった人も多かったようですね。


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